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K・Yさま
(当時40歳)
所得補償手当て
昨年4月に新型コロナに感染しました。軽症で入院の必要はなく自宅療養となりましたが、回復後も半年以上にわたって後遺症に悩まされました。
原因がはっきりと分からず、手探りで治療をしている状況でしたね。発症4か月間は全く仕事ができず、5か月目に入ってからようやくテレワークで客先のお仕事を受けることができるようになりました。
発症後8ヶ月になる現在も微熱は続いています。体調はコロナ前の85%までは戻りましたが、完全復帰と言える状態ではありません。
コロナ前よりも疲れやすくなっているし、客先に通う必要がある顧客受注型の仕事は無理だと感じています。
コロナにかかったこともその後の後遺症も、交通事故のようなものと思ってあきらめるしかありませんが、収入面はPE共済会の所得補償のおかげで本当に助かりました。収入が途切れなかったからこそ、体調が悪い間も安心して過ごすことができました。
T・Kさま(当時50代)
所得補償手当て
入院日額手当て
昨年夏に私は、脳出血を起こし3ヶ月弱の療養生活を送りました。
前日から体調不良は感じていましたが、軽い吐気以外、具体的な症状は無かったので、一晩休めば治るだろうと軽く考えていました。
しかし、時間が経つにつれ、症状は悪化する一方、とうとう翌朝早朝に救急車を呼び、そのまま入院となりました。
救急車を呼んだ時点の症状から、脳の障害で長期の入院となる可能性が高いだろうと漠然と感じていましたが、3ヶ月は予想外でした。幸い大きな後遺症は出ませんでしたが、それでも多少の後遺症はあり、完全には元の状態には戻っていません。脳出血の発症は生活習慣が大きく関わっているそうで、今更ながら、普段の健康チェックとケアの大切さを痛感しています。
また、個人事業主にとって、約3ヶ月の療養生活は大きな痛手でしたが、共済会の保証もあり無事に乗り切る事が出来ました。共済会の補償だけでは、十分ではありませんが、収入が完全に途切れる中で医療費だけでは無く生活費の補償がある事は精神的にかなり楽になりました。
Y・Sさま
(当時40歳)
入院日額手当て
所得補償手当て
昨年秋に、全身麻酔で開腹を伴う手術を受けました。
入院期間の1週間と自宅療養期間を合わせ2ヶ月間の療養が必要となりました。
緊急性の高い病いではなかったのでいつ手術を行うべきか決めかねていましたが、休暇中に思い当たることがあり手術に踏み切りました。
医療保険の加入もあったので医療費は心配していなかったのですが、退院後の生活費が気になっていました。
入院前に共済会窓口に問い合わせたところ、申請方法や概算の保証額などを事前に伺えました。
実際、入院中の一週間は順調に回復しましたが、退院後に胃痙攣が収まらず2週間不安定な体調のまま過ごすこととなりました。
主治医によると、手術を受けた後は、腸など臓器が非常にデリケートな状態になるため手術部位意外にも不調が現れやすいとのことでした。
もしも、経済的な理由ですぐに仕事復帰しければいけなかったとすると、もっと大変だったろうと推測できます。
共済会の補償があったことにより、安心して療養に専念することが出来ました。
個人事業主として働く上でのデメリットに、「もしもの時に誰も助けてくれないのでは?」という不安があります。
私の場合、共済会があるおかげで、その不安を払拭し、日々の業務にもプライベートにも思い切り打ち込むことが出来ています。
体調が悪化してからでは遅いので、あらかじめ備えておくことが大切だと感じます。
K・Sさま
(当時40代)
入院お見舞金(入院日額手当て・入院一時金)
今年の初め右手に痛みを感じるようになり、肩がやや盛り上がっていることに気づきました。
その時は過去にスポーツをやっていたので元々筋肉がありそのせいなのかと思っていたんです。
念のために病院でみてもらったところ「脂肪腫。ちょっと大きいですね。でも心配はいりませんよ。」といわれていたので、しばらくそのまま様子を見ていると次第に痛み以外にもしびれが出るようになり、別の病院でも検査をしてみる事にしました。
やはり脂肪腫との診断でしたが「こぶし大」もの大きさがあり、皮膚の下の筋肉層、筋肉の中の神経にも達していることが分かりました。
これまで「脂肪腫」と聞いて軽く考えていたため、患部に触れることもしてなかったのです。実際に触ってみると柔らかく、筋肉ではないことはすぐに分かりました。
検査した病院からの紹介で、大学病院で手術する事になりました。術前に右手に後遺症が残るのではと心配で尋ねたところ、全摘出するので大丈夫といわれほっとはしつつも、がんになる確率は低いといいながらもその実30%もあると聞かされ、軽く考えていたことを後悔しました。
背中側から肩甲骨手前あたりまで神経と頸動脈が走っているところを大きく切除する必要があったので全身麻酔での手術となりました。\
術後も取り除いたあとの空洞に血が溜まるため管を入れ血を抜いたり、低血圧症で立ちあがろうとして気を失ってしまったりとかで最初はぐったりとしていましたが、幸いにも「良性」結果で1週間も経つとじっとしていることが苦痛になるくらいに回復し、先生にお願いをして1日早く退院させてもらいました。
退院後も、1カ月は週1ペースで、今でも月1で通院しています。肩も様子を見ながら徐々に動かせるようにはなってきましたが、不用意に動かさないよう患部へのテーピングは続けていますし、仕事復帰した最初の1週間は右手を動かすのが辛くて半日勤務にしてもらったり、生活の支援も家族にお願いしている状況でした。
二度と入院はしたくありませんがいい経験となりました。
ただそう言えるのはいま元気になったからで、日頃の準備はとても大切なことだとあらためて感じています。
半月仕事ができなかったので、入院日額手当て以外にも「入院一時金」もいただくことができ大いに助かりました。
万が一長期になったとしても所得補償もありますしフリーランスならではの手厚い保障なので、絶対に入っていた方がいいと思います。
今は早く「完治しました」という言葉を聞きたくて毎日頑張っています。元々運動は好きな方だったんで早くキャッチボールとかやりたいですね。
J・Sさま
(当時50代)
がん共済(診断・手術)
昨年、瞼にできたイボのようなものを大学病院で切除しました。眼科医、皮膚科医、形成外科医と診てもらい、ほぼ全員が単なるイボなので大したことはないと診断していたのですが、切除後の病理検査の結果、それが皮膚癌の一種である基底細胞癌であることが判明し、状況が一変しました。
自分も驚きましたが、医師たちの方も大変驚いていました。症状自体は特に軽いものでしたが、連絡を受けた時の衝撃はとても大きく、今後の人生を見直す大きなきっかけとなりました。
申請前に調べたのですが、一般的ながん保険では基底細胞癌は給付対象とならない場合があるとのことで、一抹の不安を感じておりました。ですが、PE共済会のがん共済は基底細胞癌にも対応しており、お手続きはとてもスムーズで早かったです。
申請前の相談時からスタッフの方にも丁寧にご対応頂いたことにもとても感謝しています。人生の景色が一変した時だったので、給付決定のお知らせには勇気づけられたような気持ちになり、大変有り難かったです。
PE共済会には長年に渡って加入しておりましたが、今回は本当にその存在に助けられたと思っています。
備えあれば憂いなしとは個人事業主にとって重い意味を持つ言葉だと実感しました。
今後は経過観察に通いながら転移や再発の不安を抱えつつ働くことになりますが、これを教訓として、改めて将来の事に備えていきたいと思っています。
M・Nさま(当時48歳)
がん共済(診断・手術・入院)
数年前に健康診断で子宮筋腫が見つかり経過観測中でした。子宮体癌
初期(ステージⅠ)。
やはり見つかったのは健康診断でした。
筋腫自体は自覚していたとはいえ、癌を宣告された時はさすがに頭が真っ白になりました。
診断がおりた後はとても慌ただしく、現場へは事情をお話して、しばらくお休みをいただく事ができました。
入院準備以外にも、先生から教えていただいた今後の治療に関する勉強、年齢的に出産の予定はありませんでしたが、今後の人生についてもあらためて色々と考えることがありました。手術では、癌以外に子宮筋腫で3キロ摘出することになり、熊のぬいぐるみみたいに縦に大きく切ったため術後のリハビリはかなり大変でした。診断から退院まで、やらなければならないことや考えなければならないことが、次から次へと出てきました。今思うと、その上お金の心配までをしなくてはならなかったらどんなに大変だったか…。
私は、PE共済会ともうひとつ一般の生命保険にも加入しており、両方の給付を受けることが出来たのでお金の心配は必要がなく、治療だけに専念することができました。PE共済会のスタッフの対応が早く、とても助けられた気持ちだったと夫とも話していました。
この経験を通して皆さまにお伝えをしたいことは、ありきたりではありますが、癌はやはり早期発見につきます。しばらく健康診断や検査をされていないという方、心配なことがある方は、ぜひ医療機関へ勇気を出しての受診して欲しいです。
実は、今回の開腹手術中、新たに別の病気(あの安倍首相も悩まされた、難病指定の潰瘍性大腸炎)が見つかり、現在は投薬にて治療中です。手術前に就業していた現場にも無事復帰。現在の病状も理解していただきながら一日も早い回復を目指し頑張っています。
W・Sさま
(当時32歳)
慶弔金制度(結婚祝い金)
約2年前からPE-BANKでお世話になっています。
フリーランスとして働くにあたり会社員との保障の違いに対してカバーできるものを探していましたので、プロ契約の際に営業担当の方に勧めらてすぐにPE共済会へ加入しました。
3年間一緒に暮らしている彼女と元々結婚をするつもりでいましたが、数年前にした病気でしばらく療養生活をしたため今までの貯畜を減らしてしまい、当初の結婚指輪を買って入籍するという計画が延び延びになっていました。
PE-BANKでの仕事をきっかけにそろそろ具体的に進めて行こうと思っていた矢先、PE共済会の「結婚祝い金の増額」を知り「これだ」と思いました。
いただいた結婚祝い金は、結婚指輪以外にも少し余ったのでささやかですがレストランでの食事代にもなりました。タイミングよく慶弔金をいただけたお陰で、手元のお金を減らすことなく将来のために残すことができています。
新婚生活といっても付き合っている時期が長いので、これといって大きな変化があるわけではありません。
今でも「恋人であり奥さん」といった感じですので、もうしばらくは今の状態を楽しみたいと思っています。子供もそのうちにと思っていますので、その際はまたPE共済会へ申請をさせていただこうと思っています。
K・Yさま(当時39歳)
慶弔金制度(結婚祝い金・出産祝い金)
共済会の慶弔金申請をして結婚祝い金と出産祝い金をいただきました。
申請を出したのはどちらも結婚や出産が終わって一段落した数ヵ月後、「そういえば共済会でお祝い金の制度があったなぁ。」ということで申請しました。
結婚も出産も結構な出費を伴うもの。結婚に関連したところでは引っ越しをして、新たに家具や家電を買い足したり、結婚式を挙げたり。出産後に関してはベビーカーやベビーベッド、ベビーバス、布団、衣類…と、財布のひもをしっかり締めておかないとあっという間にお金を消費してしまいます。そんな最中お祝い金をいただき、その時ばかりは財布のひもを緩めて少し贅沢な外食をしたり、新しいおもちゃを買ったりするきっかけとなりました。
今は2回目の出産祝い金をもらえるようになれたらいいなと考えています。
C・Nさま
(当時35歳)
入院お見舞金(入院日額手当て・入院一時金)
慶弔金制度(出産祝い金)
以前から「そろそろ子どもが欲しいね」と夫とも話をしていたのですが、なかなか妊娠できず、一昨年から思い切って不妊治療を始めました。
最初の検査で子宮にポリープが見つかり、着床しにくい状況であったことが分かりましたが、ポリープを除去する手術をしてまもなく、妊娠することができました。
赤ちゃんがお腹の中で成長するにつれて、前置血管と呼ばれる状態であることが分かりました。前置血管とは非常に珍しい症例で、へその緒が子宮の入り口にかかっているため、産道から出てくるときに自分の身体でへその緒を切ってしまい、その結果、赤ちゃんが失血死してしまう可能性があるというものです。
そのため、赤ちゃんが産道に降りてくる前の通常より早い34週(予定日より5週間早い段階)で帝王切開での出産が決まりました。そして緊急対応ができるように、帝王切開日の2週間前から入院して経過を見ることになりました。
私自身は体調を崩すことなく、ドクターやナースから丁寧な説明も受けていたため、大きな不安もなく、入院生活を過ごすことができました。
そして、赤ちゃんも順調に育っていたため、予定通りの帝王切開により無事に出産することができました。
しかし、本来の予定日より早く生まれているため、赤ちゃんは小さく、体温調整も未熟なため、そのままNICUへ入院しました。
私は1週間ほどで退院しましたが、赤ちゃんは退院基準を満たすまで、1か月ほどかかりました。
退院後も赤ちゃんに異常はなく、今は私の隣でスヤスヤ眠っています。
不妊治療を決めてから思い返すと色々なことがありましたが、夫の協力や医療スタッフの方たちにも尽力いただいてあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。
PE共済会にも加入していたので、慶弔金のほかに私と子供の入院お見舞金をいただきました。
予定よりも早く休業しなければならなくなり、当面は子育て期間になるので今回の給付は大変助かっています。
私自身は、帝王切開などの通常分娩ではない入院だっため、今回の給付を受け取ることができましたが、フリーランスの女性が働きながら出産をするのは、育休等の保障も少なく不安が大きいところがあります。「出産育児応援制度」が新設されたようなので、次の出産ではぜひ利用したいと思います。
H・Oさま
(当時50代)
所得補償手当て
入院日額手当て
不幸は突然やってきます。
昨年3月某日、PC作業中に夕方からマウスの右クリックと左クリックを間違えるようになって、「なんかおかしいな。まぁ、そういうときもあるさ」と軽い気持ちに考えていました。就寝前にトイレに行こうと足を踏み出したところ、右手足に力が入らなくなり、受身もとれずに顔面から転倒、そのまま救急搬送されました。
診断はアテローム血栓性脳梗塞。動脈硬化によって徐々に脳動脈が詰まる病気で、最終的には血流が供給していた酸素、栄養が途絶え脳細胞が壊死してしまいます。
エンジニア的に表現すると、
・筋肉に司令を出して体を動かしていたプログラムを記憶していたのが、脳細胞(RAM)
・脳細胞(RAM)を動かしてた電源が、血液
血液が滞るということは、電源がなくなる = 動作しない、内容も消滅ということです。勿論、RAIDもパリティも無いので、エラーしているコードがそのまま実行されます。
入院してからも病気の進行は抑えることができず、3日後には右手を開くことも出来なくなり、自分の想像を遥かに超えた重大な局面に、頭の中が空っぽになりました。いくら泣いても、後悔しても、二度と戻ってこない脳細胞。気持ちの切り替えが大事と思い直し冷静さを取り戻してきた頃、今後の事、仕事、お金に対する不安に襲われました。
そんな時、PE共済会に加入してたことを思い出し「助かった」と思いました。まさに、備えあれば憂いなしです。
不安が1つ解消されて気が楽になったので、リハビリに専念することができました。
リハビリは、1日3時間、療法士とマンツーマンで行いました。脳疾患が他の疾患と異なるところは、入院期間の大半がリハビリである事、それに対する本人の精神力だと思います。「出来ないから、辛いからやらない」そんな気持ちでは生涯機能は回復しません。断言します!!!
失った機能を再度プログラミングし直さなければならないのです。幼児のまだ記憶のない時期から行ってきたことを新規に設計し、新しい脳細胞に書き込むのがリハビリです。しかも、詳細仕様、言語は不明です。
最終的に入院期間は約160日。発症後1年経過した現在でもリハビリの日々は続いています。装具を付けないと歩けません。箸が上手く使えません。字が早く書けません。こんな状態でも、入院患者の中では軽症なのです。重度の後遺症が残った方は、それはもう悲惨で、家族の方も疲弊してしまい、家庭が崩壊していく様を幾度となく目撃しました。
こんな不幸に遭わないようにするには、予防と危機管理が大事です。健康診断を定期的に受けて、結果を真摯に受け止め対応する事と、個人事業主としての自覚を持ち、万が一に備えることです。今回、ここまでのお話をさせていただいたのは、自分と同じ境遇にならないための参考になればと思い、綴りました。心の片隅においていただければ幸いです。